

国立国語研究所「病院の言葉」委員会での担当業務をお聞かせください。
「病院の言葉」委員会は、全体委員会、実務委員会、作業部会という3層構造で、私は主に、7名から成る作業部会の部会長として、全体のとりまとめを行いました。
今回の提案は、調査を実施し、その結果に対する議論をもとに行うものでしたから、調査にまつわる大量の作業が発生しました。その作業の中心となったのが、作業部会です。
また、私は、調査後、言葉一つひとつについて検討していく実務委員会の一員でもあり、こちらには言葉の専門家のほか4名の医師が参加していて、忌憚のない意見を多くいただきました。

今回、最も苦労されたことを教えてください。
最初に、それまで医療の分野になじみがなかったことから、この専門性の高い分野を扱うことについてのとまどいがありました。
実際に作業を始めてから特に苦労した点は2つあります。1つ目は、今回の研究で提案する言葉をどう選ぶのか。この点については、国立国語研究所の言語学のノウハウであるコーパスという方法を用いました。
これは、電子化された言語データをコンピュータで分析する方法です。大量の医療用語を分析し、その出現頻度を調べることで、まず「患者にとって理解しにくいが、大切な言葉」を2000語リストアップしました。
これをさらに実務委員会で検討して100語に絞り、最終的には57語について詳しく検討しました。
2つ目は、これら絞り込んだ言葉について、分かりやすい説明をどう提示していくか。100語を選んだ段階で、実務委員会の15名の委員が一語一語についてコメントを出していきましたが、時には、たった2語についての検討に4時間をかけることもありました。
言葉の専門家が医師に対して言葉の使い方を提案するのは今回が初めてだったこともあり、両者が対等に向き合って、よりよい方法を考えたいと思ったのです。
真剣な議論が交わされましたが、意見がなかなかまとまらないのが、まとめ役としてはつらいところでもありました。
医師が使う言葉が患者に伝わりにくい原因は、どこにあるのでしょうか。
医療現場で医師が患者に説明を行うとき、次の3つのような特徴があります。
このような特徴があるにもかかわらず、これまで医療の現場では、「専門家が専門外の人に伝えることの難しさ」が十分認識されていなかったように思います。伝わっていないという現実が、意識されずにきてしまっていたのです。
そこで、今回の提言では、患者に言葉が伝わらない原因を3つに分類し、その原因ごとに、言葉を分かりやすくする工夫について考えました。その原因とは、
の3つです。選定した言葉57語を、これらに分類して解説しています。
2009年に国立国語研究所「病院の言葉」委員会で制作した、書籍『病院の言葉を分かりやすく―工夫の提案―』を、医師にどのように活用してほしいですか。
今回、57語を取り上げましたが、これは膨大な「病院の言葉」のごく一部に過ぎません。さらに、取り上げた言葉についても、使い方は、言葉の使われる状況や、医師・患者の個性によってさまざまに変わるでしょう。
したがって、掲載した方法そのままを使用して、患者に十分伝わることは、むしろ少ないのではないかと思います。
しかし、本書には最も基本的な「病院の言葉を分かりやすくする」考え方が示されています。さらに、「病院の言葉」の代表例とも言える使用頻度の高い言葉を掲載しているので、応用も利きやすいでしょう。
ですから、この本はマニュアルとしてではなく、方法論を身につけるためのテキストとして活用してほしいと考えています。
現場で実践し、工夫を重ねることで、自分なりの説明の仕方を確立していただきたいのです。特に、医学生や研修医の方など、ご自分のスタイルができあがる前の若手に、参考にしていただければと思います。
今後、医師にどのようなことを期待していますか。
近年、患者への説明の重要性がいわれるようになってきたことで、次の段階としては、説明の仕方を工夫する時期に来ているのではないでしょうか。
本当に伝わっているのか、ということを意識していただくことで、説明の質も上がるでしょう。
使う言葉のすべてを、やさしいものにする必要はないのです。これまで、使う言葉の10すべてが難解なものだったとしたら、患者にきちんと意味を知ってほしい1~2つの言葉だけはそのままに、残りを分かりやすい言葉に変えてみてください。
意識的に難解な専門用語を織り交ぜることで、医師が強調したい言葉が患者に伝わり、自発的に理解していこうとする意欲を持ってもらうことにつながるのではないかと思います。
ありがとうございました。
取材日:2009/8/6 国立国語研究所にて
取材担当者:岡 晶子
田中 牧郎さん
国立国語研究所 研究開発部門 言語問題グループ長